電気原理主義

最近、電気自動車の取材を頻繁にするようになった。開発や普及を進めようとしている人と話をすると、共通する二つの「なんでだろ?」があります。一つはエンジンの搭載を容認してくれないこと。私は「電気自動車原理主義」と称している。発電用エンジンを搭載すれば暖房も楽だし、バッテリー搭載量だって減らせます。なのに皆さん「考えてない」という。理由を聞くと「排気ガスを出すから」。考えていない、というより、エンジンを蛇蝎の如く嫌っているのだ。電気自動車が使う電力だって、半分近くは排気ガスを出して作っているのに……。ユーザーの使い勝手より、原理主義を優先するのだから妙。二つ目が「ガソリン諸税」を全く考えていない点。電気自動車なら重量税だけでいい、と思っているようなのだ。確かに現在はクルマを走らせるための電気に税金を掛けていない。けれど電気自動車が増えれば、きっと財務省だって黙ってないだろう。いずれにしろ「電気自動車なら重量税を除く道路特定財源の負担をしなくていい」と考えていること自体、おかしいです。10年もしないウチ、シリーズハイブリッドやプラグインハイブリッドが普及し始めると、電気自動車や電気そのものにガソリンと同等の税金を掛けられると予測しておく。そしたら現在「電気は圧倒的に安い!」とアピールしているランニングコストの優位性は薄れることでしょう。

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1 Responses to “電気原理主義”

  1. canyondrive より:

    同感です。小型エンジンを搭載して距離の心配を無くし、既存のインフラを効果的に利用する事が今一番理想的なのではと思います。電気自動車に関する技術はまだまだ発展途上に有り、価格競争も始まっていない状態。バッテリーのみに頼るとコストが掛かり過ぎ、廃棄処分の際の環境に対するストレスも大きくなります。
    カリフォルニアではApteraという会社で、三輪のハイブリッドの開発が進められています。開発初期はディーゼルエンジンを搭載する予定でしたが、排気ガスで適合するものが現存して無くガソリンエンジンを積んで120mpg(リッター50km位)を目標に2008年発売予定だという事です。

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