車屋四六の四方山話/バンコクモーターショー
アジアで一番集客力のある、バンコク国際オートショーが始まり、主催のグランプリインターナショナル=GPIからの招待状が来て、いつもどうり出かけた。 まず、GPIプラチン会長81才の誕生パーティーに出席。相変わらず元気なのに・・・
自動車評論家国沢光宏の厳しい修行の毎日を綴ります
「日々是修行」の記事一覧(2 / 409ページ)
アジアで一番集客力のある、バンコク国際オートショーが始まり、主催のグランプリインターナショナル=GPIからの招待状が来て、いつもどうり出かけた。 まず、GPIプラチン会長81才の誕生パーティーに出席。相変わらず元気なのに・・・
食いしん坊老人の情報収集の一方法で、雑紙やTVをよく見る。が、若いタレントやアイドルの食レポで「旨い」は当てにならないことがしばしばだ。ということで信用できるのは、功なり遂げた俳優や歌舞伎役者、歌手、料理人、食の評論家な・・・
「360ccでスポーツカー?走るわけないヨ」と、車仲間でウワサが立ったのは1960年頃だったと思う。二輪で世界チャンピオンになったホンダが、いよいよ四輪市場への進出を計画していた。 全日本自動車ショーのホンダ・スポーツS・・・
WWⅡが終わり日本は自動車先進国の欧米を目標に、追いつけ追い越せと懸命努力して、たくさんの車名が生まれては消えていった。その中に愛称「スズキのマー坊」と呼ぶユニークな車があった。誕生当初は強烈なインパクトで知名度は高かっ・・・
独逸などと書くと叱られそうだが、太平洋戦争中はドイツでなく、独逸だった。その頃の話である。遊就館=ユーシューカンは、靖国神社の敷地内にある。明治の頃にできた博物館で、戦争関連の展示品ばかりだ。 子供の頃だからWWⅡ前だが・・・
この写真を見た際、ベース車両が全く解らず。顔はダッジチャレンジャー風。なかなか魅力的だ。ヘッドライトからフロントタイヤの間の面が間延びしているものの、こらもうフロントオーバーハングの長いFFで後輪駆動車のようなデザインを・・・
1960年=昭和35年、テレビ受像器が全国で500万台を越え、カラー放送も始まるが、17型42万円、21型52万円。大卒初任給1.5万円の頃だから、安い車が買える大金だった。そのTVでビックリは、日曜深夜のピンクムードシ・・・
現役時代の同業者である岡島裕二さんを誘って千葉へ。今回は内房と外房にある魚のおいしい店が候補でしたが、外房の店は火曜日が定休日だったので鋸南町の「山田屋」へ。例によって青木先輩推奨の店です。館山道を鋸南保田ICで下り、道・・・
2026年以降の新型車を全車EV化、と宣言したのがアウディ。そんなアウディのEV=Q4-eTron/728万円で走ってみた。結論が先だと、素晴らしいの一言。理由=ガソリンのアウディからEVに違和感なく乗りえられるというこ・・・
1998年、米国から快挙が届いた。ミスターKが米国自動車殿堂入りしたというのだ。ミスターKとは米国での愛称で、本名は片山豊。我々親しい連中はオトッツァンと呼ぶ。98年度の顕彰者は、シトロエン、オペル兄弟、ツェッペリン伯爵・・・
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