車屋四六の四方山話/戦闘機より速かった彗星

独逸などと書くと叱られそうだが、太平洋戦争中はドイツでなく、独逸だった。その頃の話である。遊就館=ユーシューカンは、靖国神社の敷地内にある。明治の頃にできた博物館で、戦争関連の展示品ばかりだ。

子供の頃だからWWⅡ前だが、翼端が千切れた戦闘機を憶えている。支那戦線・南昌で、三菱九六艦戦が敵戦闘機に体当たり、欠けた翼端の機体をあやつりながら、無事上海基地に帰還したという、英雄・樫村機だった。

また、C5631という蒸気機関車は、泰緬鉄道を走っていた実物。泰緬鉄道とは、坂本龍一、ビートたけし主演の映画『戦場のメリークリスマス』で知られる、タイとビルマ(ミャンマー)間を結ぶ、インパール作戦のために陸軍が敷設した鉄道だった。

日本名熱田=DB601発動機

愛知コニー/軽自動車

水冷倒立V12気筒発動機は、ダイムラー製601型の、ライセンス生産だった。ドイツの名戦闘機メッサーシュミット109に搭載されたことで知られる。

愛知で熱田三二型と名付けれた発動機は、遊就館の彗星のかたわらに、単体で展示されているが、排気管には、米軍戦闘機のものと思われる、機銃弾によるとおぼしき穴があき、東京湾からの引き揚げだのだそうだ。

性能が戦闘機並の艦上爆撃機を、との海軍の開発命令で彗星は誕生した。ゼロ戦より一回り大きいが、最高速度は、そこらの戦闘機より速い、588粁をマークした。

喜んだ海軍は、急遽目的変更で偵察機を造らせて、空母に配備した。3890粁という、長い航続距離を生かした初戦果は、ミッドウエイ海戦だった。

南海の孤島ミドウエイ島

被弾沈没した空母赤城

満身創痍沈没寸前の巡洋艦三隈

この海戦は、開戦いらい連戦連勝の海軍が、大敗した海戦で、暗号を解読されて、不意打ちを食らった連合艦隊はボロ負け、虎の子の空母を何隻も失った。そのさなか敵機動部隊を発見し「敵空母発見」と打電したのが、彗星だったが、そのまま帰還することはなかった。たぶん敵戦闘機に喰われたのだろう。偵察機より、1年遅れで艦爆彗星も実戦配備されたが、さしたる戦果はなかった。

生産機数2157機。先ず稼働率が悪かった。高性能狙いで詰め込んだ最新技術が災いして、工作が難しい電動引っ込み脚、フラップ、スポイラーなどの故障が続出した。戦場からは、整備がむずかしいとの苦情続出。パイロットだけが「素晴らしい」と喜んでいたそうだ。

空冷星形発動機に換装された彗星

日本の工業力では、発動機も順調に生産できずで、供給不足。で、仕方なく実績のある、三菱空冷星形14気筒・金星1400馬力に換装したが、時すでに遅く、神風特攻機という悲しい目的外用途でしか役立たなかった。ただ、20ミリ機関砲を、後席から斜め上に突きだした夜間戦闘機が、厚木基地に配備され、こいつがB29爆撃機の迎撃に活躍したのが、せめてもの救いであり、輝かしい戦歴となった。

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