お手伝いの難しさ
最初に「何か手伝いたい」と強く強く思ったのは阪神淡路地震の時だった。何か出来ないか、と考えた末、自転車やバイクのパンクが多いということから修理チームを出そうとした次第。しかし現地から情報をもらったところ「すでに自転車屋さんとバイク屋さんが商売にしてるからニラまれる」という。
その他、様々なルートで問い合わせるも手伝える余地無し。仕方なく自分のクルマと(ランサーターボ)と、海外取材の付き人の権利(この権利、現在AJAJメンバーで活躍中の工藤貴宏君が購入)をCT誌でオークションに出し、そこで得た約70万円を寄付させてもらいました。お金だけだったワケです。
気仙沼市内
中越地震の時は「ボランティアの人たちの足を提供したい」と申し出たところ「それは助かる」ということで受けてもらい、タクシーが機能を回復するまでの3日間ながらフルに活動出来た。この時にボランティアセンターの動きを見て、改めてお手伝いの難しさを実感した次第。
幸いなことに大きな被災などめったに無い。ボランティア団体はそこで実績を残したいのだ。だからホントに一生懸命やる。もちろん同じタイプのボランティアをする団体は全てライバルです。バッティングしようものなら「ここは足りている」とお引き取りを願う。私らが手伝えたのはライバルの無いお手伝いだったからに他ならない。
今回も考えたけれどすでにタクシーは営業中
ここで素晴らしい人を見ました。越後川口町のボランティアセンターには簡易トイレが多数設置されていたのだけれど、いつ入ってもキレイに掃除されており気持ち良かった。どうしてだろう、と思っていたら、一人のボランティアが黙々と掃除してます。この人、頼まれたワケじゃない。
ボランティアというと「困っている被災者の前に鳴り物入りで登場し感謝されることをする」というイメージが強いと思う。確かに自己満足度は高いだろう。前述の通りこれはプロのボランティアの仕事です。本当のお手伝いというのはトイレ掃除のような「足りていないことをする」ことだと思う。
そんなことから今回はお手伝いをしている人やグループの支援をしようと決めた。結果的に困っている人のためになればいい。といった点からすれば、本当に困っているタイミングと場所に、適切な物資を納得できる規模で供給出来たと思う。さて。地震から3週間が経過し、状況は一段と複雑になってきた。
もはや親戚や友人や知人を個別にバックアップするのがベストです。ということで、ラリーの時に援助してくれた人の中で唯一連絡が取れていない気仙沼の人を訪ねて見ることにした。被災者名簿で探してみたら、火曜日になって気仙沼西高校に名前を発見! 無事だったようで一安心。
ガソリンスタンドは並ぶことも無し
そこで必要と思われる物資をひと揃い積み、コ・ドラをエンジン誌の荒井さんに頼んで出発。東北道を一関ICで下り、気仙沼に向かうとガソリスタンドは普通に影響してます。そればかりかホームセンターやコンビニ、スーパー、ラーメン屋さんも通常営業中。ガソリンが供給され始めるや、突如普通になったそうな。
ディーラーの前は冠水。リーフの前にマグロが転がっていたそうな
気仙沼市内に入っても同じ。少なくとも国道45号バイパスより山側は普通。ガソリンスタンドやコンビニ営業中。いや、内側であっても、難を逃れた地域と津波の被害を受けた場所が混在している。トヨタのディーラーは浸水し大わらわで復旧作業中。近所の日産のディラーは通常営業を始めていた。
以下明日に続く。
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色々な場面で義捐金の募集をしていますが
何故か全然関心がありません。
もっと直接的な援助が出来ないかと常々考えて
いるのですが、自分の周辺のことばかり
考えてなかなか行動に出せていません。
だから国沢さんの現地レポートは他の
情報と違って身近で有用です。
自分もサポート出来ると判断出来た時には
行動しようと思います。
いつもありがとうございます。
うなぎ屋さんもがんばって欲しい。
(フジヤカメラに行く時は必ず寄っています。)
この前の週末に、石巻の知人の手伝いに行ってきました。
がれきの処理と引っ越しの手伝い、掃除をしてまいりました。
惨状を目の当たりにし、GWに何かできないかと考えていますが、
動きやすい期間は、ボランティアの方も殺到するのでしょうね。
ニーズが低いかな。
それにしても、数kmの違いが運命の明暗を分けるのですね。
港から5kmも離れればパチンコ屋も営業していました。