マスキー法を抜本的にクリアしたのは日産です(10日)
日産との付き合い、本当に薄くなりましたね。と実感す。パルサーなどでお付き合いさせて頂いた千野さん、一昨年亡くなっていました。知らず昨年に引き続き今年も年賀状出してしまいました。すると「生前はお世話になりました」と一筆あり、受け取りしないということで戻ってきた次第。FF横置きのチェリーや初代国産御料車『プリンスロイヤル』を開発した名エンジニアであります。
日産、昔は私のようなメディアにクルマを教えてくれた技術者が多かったです。といっても千野さんは日産じゃなくプリンスのさらに前身である富士精密に入社。ヒコウキ屋さんの筋でございます。誰もが不可能だと考えた厳しい排気ガス規制であるマスキー法をEGIとO2センサー、三元触媒によってクリアした中川さん(中島飛行機の誉/ハ-45の開発者です)の教えを受けた。
ちなみに1975年施行のマスキー法をクリアしたのはホンダのCVCCやマツダのRE+サーマルリアクタだと皆さん認識していると思う。確かにマスキー法の施行前に発表したのはホンダとマツダだったけれど、千野さんによれば中川さんは1960年代前半から電子制御インジェクション(EGI)の研究をしていたという。マスキー法を見て早い段階からEGIと三元触媒の開発に着手したそうな。
当時のプリンス/日産の面白さは、ダマテンを決め込み本番で勝つこと。戦闘機は性能自慢じゃ無く勝負。だからこそ当時の日本グランプリでトヨタは日産に出し抜かれ続けた。マスキー法もホンダやマツダの動きを横目で見ながら、勝負のタイミングを伺っていたということです。確かに早出ししたら日産の優位性が薄れてしまう。後にULEV技術でもホンダは日産に出し抜かれます。
HCと一酸化炭素とNoxという有害物質を水と二酸化炭素と窒素の無害物質にする三元触媒を働かせようとした場合、理想空燃費で燃やさないとならない。そのため吸入する空気の量を正確に量り、見合った燃料を吹くというEGI使う。その上、エキパイに酸素を検知するセンサー付ける。燃料薄いと燃え残りの酸素出るため電子制御で吹く量を増やす。濃ければ酸素排出されないため吹く量を減らす。
こいつは素晴らしいアイデアだった。CVCCもサーマルリアクタも今や存在しない。結果的に中川さんの技術が今に至る。また千野さんは前述の通りVWゴルフの成功により普及していくエンジン+変速機の直列FF横置き、いわゆる『ダンテ・ジアコーサ式』を日本で初めて採用したチェリーの開発を担当していた(ホンダN360はFF横置きながらミニと同じイシゴニス式)。素晴らしい!
・追記。この件、徳大寺師匠の受け売りだったのだけれど日本初のダンテジアコーサは1971年のホンダ・ライフだということが解りました。
私が初めてじっくり話を聞かせて頂いたのは1986年発売のN13パルサー。ビスカスを使った4WDの先がけでした。何と3つのデフにビスカスを使うトリプルビスカスまで開発。このクルマで何度も雪道や氷上を走ったけれど、まぁスンバラしぃ走破性能でしたね。WRC用に開発されたGTi-RをラインナップするN14パルサーも千野さんが開発主幹だったことを昨日のことのように思い出す。
メディア業界と関係深かったOBもそろそろ鬼籍に入る方が出てきた。せめて年賀状を出す前あたりのタイミングで1年に1度広報から案内してくれてもいいと思う。でないと失礼なことをします。文頭に戻る。それにしても最近の日産の淡泊さ(日本市場に対する淡泊さと根っ子は同じかと)、ゴーンさん起因だろうか。はたまた日本を担当する西川社長起因だろうか。どちらも残念です。
千野さんに聞きたい話はたくさんありました。ベストカーの時代の証人で出て貰いたかったです。日産の歴史を思い浮かべれば、素晴らしいことばかり。アメリカ市場で日本のホスピタリティを決定づけたミスターKこと片山さんも日産。自動車史からすれば華やかで技術力のあるプライドを持てる企業です。といったことを含め、敬愛すべき佳き日産が戻ってきて欲しいと強く強く思う。
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