自動車メーカーの傾向と対策(あくまで個人的な見解です)スバル編

スバルのルーツは隼や疾風など航空機を作っていた中島飛行機だということは皆さん御存知だと思う。もう少し彫り込むと、スバルのアウトラインって中島飛行機の機体部門なのだった。零戦などに使われた星形空冷14気筒の『栄』や、『疾風』など大戦中期に多数採用された星形空冷18気筒の『誉』を開発した荻窪の部門は、やがてプリンス自動車になる。

富士重工の名機カレンダーより

また、中島飛行機はエンジンより機体技術が勝っていたと評価されている。私としちゃどちらも世界TOPに並んでいたと思うけれど、残年ながらエンジンは設計通りの性能を出そうとしても、軸受けなどの素材とオイル、燃料の質が圧倒的に低すぎた。機体を見ると、例えば疾風の空力特性など現代の航空技術で評価しても素晴らしい言われるほど。

そんなルーツ持つスバルながら、エンジン技術はずっ~と「並」だった。スバル360やR2の2ストロークエンジンはホンダに代表される当時のライバルより低かったし、初めての水平対向エンジンも出力的には普通。ただスバル360のエンジンは極めて軽量かつコンパクト。水平対向エンジンも、当時の生産技術だと圧倒的に滑らか。FFというレイアウトも先進的だ。

ヒコウキ屋さんからすれば「エンジン様」じゃなく「重要な構成部品の一つ」なんだと思う。だからこそレガシィが大ヒットするまで、小型車用に並列4気筒エンジンなども作っていたのだった。本来「頑固に水平対向!」という考え方をするメーカーじゃなかったです。流れが変わってきたのは前述の如くレガシィの大ヒットと、WRCでのインプレッサからだ。

ちなみに初代レガシィが水平対向エンジンを採用したのは、工場設備のためです。スバルの規模だと複数のエンジンを作りたくない。そこで小排気量の4気筒と、レガシィ級のため水平対向を使うことになった。結果、同じエンジンを全ての車種に搭載するのがコスト的な武器になり、素晴らしい利益率をもたらす。ただ直近では燃費を考えると大きなブレーキになりそう。

スバルの水平対向をキッチリ&カンペキにアピールしたのは1990年中盤に絶大な役割を果たした「マーケティング部」である。この部署、一般的な宣伝部より一回り大きなチカラを持っていた。スバルの販売部門と宣伝、今ならブランドイメージ、モータースポーツ予算まで持っていたほど。そしてここの部長が植木等さんのような敵無し&楽観的だった。

日本各地のサーキットに”ほぼ”全地域の営業マンを集めて思い切り走らせ、同時に地域のTVや新聞などメディアを呼んで、今で言う「サーキットタクシー」を始める。タイヤやブレーキ減ることなど全く気にせず全開全開また全開! 宣伝は徹底的にカッコよく! 新型車が出れば記録チャレンジ。そしてSTiを立ち上げた久世さんにWRC参戦予算を付ける。

今のスバルのブランドイメージは、1995年くらいからの10年間で作られたと言ってよかろう。ハッキリ流れが変わったのはマーケティング部の実質的な解散からです。マーケティング部、日本と海外の境すらなかった。スバルの規模拡大により日本と海外の担当を分けるようになるのだけれど、こうなると世界規模で行うモータースポーツのポジションが難しくなる。

折しものリーマンショックでWRC撤退。やがて業績回復すると国内部門のマーケティング部がWRCよりはるかに舞台小さく、ライバルの予算少ないGT300とニュル24を始めたのだけれど、世界的なブランドイメージを作ろうとする部門無し。やがてニュル24とGT300という本来ならプライベーターのジャンルにメーカー出るというカッコ悪い状況になってしまう。

市販車も日本と海外の縄張り争いが顕著になり、利益の大きいアメリカの一本足打法に。しかも本来なら「エンジンは車体の構成部品」というのがスバル本来の姿ながら、燃費効率という点で難しい水平対向に縛られてしまった。なるべく早いタイミングでエンジンもブランドイメージ作りも「ヒコウキ作りが礎」というスバル本来の姿に戻るべきだと思う。

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