11年前の東日本大地震で「被災したら国に頼れないな!」と心底認識しました!

たまには過去を振り返ったらいいと思う。11年前の3月11日、練馬の自宅で地震に遭遇した。まず考えたのは2人の子供と、炭を使っている中野うなぎ屋です。子供2人とはSNSで連絡取れ無事を確認。電話繋がらないため、バイクで中野へ。電車やバスといった公共の交通手段は全て止まっており、道路大渋滞。バイクだけ全く問題無く移動出来ました。バイク、被災に強い!

3月11日の記事

3月13日から需要多い時間帯の計画停電が始まり、同じ日にガソリン売り切れた。私は2月からリーフと一緒に過ごすようになったため、夜間、電量余っている時に充電すれば移動に全く困らない状況。3月15日に移動手段として電池自動車を現地に持って行くよう日産と三菱自動車のしかるべき立場の方に御願いしたら、少し時間掛かったものの両社共に動いてくれました。

三菱自動車は広報車まで投入し45台のi-MiEVを現地に!

国の動きはグダグダだった。現地に食糧届かない。米軍がヘリで物資輸送してくれなかったら、本当に困窮したことだろう。被災から8日間経つ19日になっても現地にガソリン届かず。読者からSOSを受け、19日の夕方、相当な量の貴重な液体を確保。いわき市の青年会議所まで運ぶことになった。個人でも出来ることなのに、なんで国が出来ないのか不思議でならず。

3月19日はいわきへ

貴重な液体不足は25日になっても続いており、2回目の運搬となった。今回は郡山の青年会議所です。途中、ガソリンスタンドを見ると長い列! しかも給油量制限も。東京では徐々に入手出来るようになっていたが、被災地は相変わらず。やはり被災したら自分で自分を守らないとダメだと実感させられた。被災地へ行くたびに様々なことを考えるようになります。

サポーターの方が被災した地域にいると解り、連絡すると音信不通。避難所生活で何か助けられることもあるかと考え、燃料事情など落ち着いた4月2日にいろんな物資持って気仙沼へ。幸いサポーターのお店はギリギリで津波被害に遭わなかったと判明。当該地域指定の避難所に行ってみたが、現地を離れた後でした。ベストカーで貰った子供向けの絵本などを避難所に配って帰京。

以後、サポーターの皆さんが被災しても物資を提供出来るよう、発電機などを揃え始めた。移動に威力を発揮する110ccバイクや手漕ぎボートもあります。自然災害の場合、電気と移動手段さえあれば何とかなる。ちなみに東京だって被災の可能性大。私も非常事態を考え、様々な対策をしてます。先日投入したプラグインソーラー、今のところ快調!

400Wキットは送料別で7万5900円

長期停電したら、プラグインソーラーとリン酸鉄リチウム電池の電源を使うことで、発電機を稼働させるガソリンが入手出来なくなったとしても必要最小限の電力を確保出来ます。一戸建てじゃなく日当たりさえよけえばベランダで日中250W前後の電力を供給してくれる。大手企業がプラグインソーラーを扱いだしたら、あっという間に普及すると思う。それくらい画期的です!

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