東日本大地震の教訓は「国に頼るな」です。3日間生き延び、逃げる準備を

東日本大地震から10年。思い出したくない方がいたら申し訳ないです。やはりこういった節目に再度防災意識を強く持つべきだと思う。次の災害で痛ましい犠牲者を出さないために絶対必要な反省だ。震災直後に襲ってきた津波についてはすでに様々な検証が行われている。私はかさ上げした高台に移転でなく、津波タワーを西日本を含め全国に作るべきだと考えてます。

ということは国や自治体へのリクエストなので、私は基本的に期待しない。我が国は緊急事態に遭遇したら3日間生き延びる準備をしておくべきだというのが教訓です。震災直後、物資不足とガソリン不足が発生した。されど国も自治体も全く動かない。3月19日に読者の方から「高齢者に水と食糧を届けることが出来なくなった」というSOSを受け、いわき市へ行った。

いわき市へブツを運ぶ

行きの常磐道、ガラガラ。国さえその気になったらタンクローリーをいくらでも投入出来た。物資だって運ぼうと考えたらいくらでも運べたろう。被災から8日も経っている。また、いわき市に行って痛感したのが治安の悪化。被災地は火事場泥棒が横行していた。なのに東京なんかガソリン不足で走るクルマも少ないのに警察はノンビリ交通一斉取り締まりしてたりして。

警察、火事場泥棒を黙認

財産は自分で守るしかないと痛感。さらに再度読者から放射能汚染を受けている飯舘の物資不足が深刻という依頼あり、3月25日は福島市にブツを運ぶ。これまた高速道路は普通に走れたけれど、タンクローリーや物資を運搬しているようなトラック走ってない。普通に考えたって物資不足は予想出来る。ちなみに応援物資、配られないため腐ってるという。

福島へブツを運ぶ

福島に行ってきて以後、すすまない援助に隔靴掻痒の思いをしていたが、サポーターの方が津波被害に遭った地域に住んでいると判明。様々な物資を持って気仙沼へ。ここで始めて被災現場を見ました。ご遺体があるだろ膨大なガレキを前に言葉を失う。全く無力です。逃げるしか無い。逃げられなかったらいかんともしがたい。とにかく生き延びた時の準備をしておくことだ。

4月3日は三陸へ

いろんな現場を見て、話を聞いた。しばらくして子供達が歌ってる「パプリカ」という歌の歌詞が震災で亡くなった子供達のことだと知った後は、この曲を聴くと必ず涙が止まらなくなる。亡くなった子供の多くは大人の判断ミスによるもの。私の年だと逃げたくないという気持ちも解らなくないが(しかも自分の意志)、子供を失ったら哀しい。これ書いててもにじむ。

地震の情報あったらすぐ津波を考える。火事を考える。3日間分の食糧や水などを備蓄する。小型発電機など良い仕事してくれることだろう。クルマの中に家族分のサバイバルキットを積んで置く。小型のバイクを持っているといろんな点で便利、等々。この週末にでも準備したらいいと思います。

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