F1開幕が決定! そういえば皆さんいすゞとスズキのF1エンジン知ってますか?

バブル経済まっさかりの1980年代終盤、F1は隆盛を誇った。1989年などフルグリッド26台ながら、39台ものエントリーがあり13台は予備予選を走らされ4台しかレースの予選を走れなかった(ポイント上位の26台はシード。予選30台中26台が決勝に残れた)。1990年シーズンはスバルが出場したものの。全16戦のウチ、10戦で予備予選落ち。6戦は予備予選で残ったが予選落ち。

1989年のザクスピード・ヤマハも16戦中、2戦で本戦へ出場したもののリタイアに終わっている。そんな中、ホンダはブッチギリで強かったのだから、やっぱり根本的に技術力が違っていたということだと思う。ヤマハとスバルが煮え湯を飲まされていた1990年前後に開発されていたのが、いすゞとスズキのF1エンジンであります! 皆さん覚えているだろうか?

いずれも開発段階で計画中止になったため、ほとんど情報が残っていない。唯一『P799WE』という開発記号を付けられたいすゞの3500cc12気筒エンジンのテスト映像を残すのみ。シャシはロータスである。ロータスはアクティブサスの99T開発の際、小松製作所と組んだ。1992年にはミッションも小松製作所が作ってます。いすゞとも上手く付き合ったのだろう。

動画を見る限り試作エンジンと思えないほど良い感じで回っている! というか、相当自信を持ってシェイクダウンに臨んだ雰囲気。いすゞはホンキで開発したんだろう。ヤマハとスバルのシェイクダウンの様子を聞いたら、グズッて全開走行どころじゃなかったそうな。バブル経済破綻せず1992年に実戦登場となればヤマハやスバルを凌ぐリザルトを残せたかもしれません。

スズキもホンキでF1進出を狙っていたようだ。当時、レイトンハウスに若き頃のエイドリアン・ニューウェイが居てスズキエンジンを使いたがったという。最初に開発したのは1989年からのターボ廃止に合わせた『YR91』という開発記号の3500ccの12気筒。そして1995年から始まる3000cc化に合わせた10気筒の『YR95』であります。これまたけっこうホンキだったらしい。

開発担当はRGB500やΓ、GSX-R750の油冷エンジンなどに携わった横内悦夫氏。日本の自動車史で5本の指に入るエンジン技術者だと思う。1992年デビューを予定していたYR91についちゃレイトンハウスとバブルの破綻で白紙に。それでもスズキは、というか横内氏は夢を追いかけYR95を開発した。YR91、同じレギュレーションで開発されたヤマハの580馬力に対し730馬力近かったそうな。

1991年のマクラーレンに搭載されたホンダRA121が735馬力程度だと言われていたため、エイドリアン・ニューウェイのシャシに載せたらヤマハやスバルとは全く違ったリザルトを残したかもしれません。スズキ、この時代までは夢に溢れていた! いや2008年はWRカーまで作ったほど。今の社長になってから、クルマとしての夢は潰えた感じです。

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