レイセン
『風立ちぬ』が20日から始まる。『紅の豚』ファンにとっちゃワクワクもんでございます。ただ「レイセン」を「ゼロセン」と呼ぶことに慣れない。ラジオなどの放送では未だに「ゼロ」を「レイ」と呼ぶ。東京の市街局番って「ゼロサン」でなく「レイサン」。ラジオを注意して聞いてみて欲しい。「ゼロ」は英語ですから。
レイセンは皇紀2600年に正式採用となったため、最後のレイを取って『零式艦上戦闘機』と呼ばれる。ちなみに「皇紀」とは神武天皇が御即位された年を元年としたもの。西暦より長いぞ、ということで第二次世界大戦時、突如引っ張り出され歌まで出来た。タイも「仏歴」を使っており、西暦+543年です。
最近になって「戦時中からゼロセンと呼んでいた」みたいな意見も出てきたが、決定的な証拠は残っていない。全て伝聞です。ただ当時の日本語教育なら「零式」と漢字で書いてあれば100%「レイシキ」と読んだだろう。英語堪能な海軍であっても「0戦」と書いてあれば「ゼロセン」と読むかもしれないが「零戦」ならレイセンだ。
昭和19年の朝日新聞が「零戦」に「ゼロセン」というルビをふっていることを根拠にしている人も居るようだけれど、そもそも当時機名は機密事項。米側から入れた情報を使って記事にしている可能性もある。後述の通り零式までは愛称を付けなかったため起きた混乱だと思う。隼をオスカーと呼ぶ日本人は少ない。
参考までに書いておくと『一式戦闘機』は「隼」(米名オスカー)。『二式単座戦闘機』が「鍾馗」(同トージョー)。『三式戦闘機』を「飛燕」(同トニー)。『四式戦闘機』に「疾風」(同フランク)という名を付けた。零戦世代までの戦闘機は日本名を付けなかったのだ。付けるようになったのは精神論が入ってきたせいだと思う。
零戦の米側コードネームは当初「ジーク」だったけれど、昭和19年あたりで「ゼロ」になっていた。いずれにしろ正式採用された1940年当時は間違いなく世界最高の戦闘機であります。零戦以後の戦闘機を見ると、機体こそ設計思想でカバー出来たものの、エンジンが追いつきませんでしたね。
B787の火災事故、共同通信が???な報道をしている。火元は通信機で、使っている電池は「リチウムイオン電池」じゃ無く「リチウムマンガン電池」なのだという。おそらく通信機用ならパソコンと同じ18650電池だと思うけれど、こいつぁマンガン正極の「リチウムイオン電池」だ。
リーフやi-MiEVの電池もマンガン正極のリチウムイオン電池。燃えたB787の電池は正極に高価なコバルトを使うリチウムイオン電池である。また通信機用の電池トラブルで機体が燃えた、という話もあまり聞かない。B787以外にも採用されているため、別の意味で大事になると思う。
違う筋から「燃えたのはELTのようです」。ELTとはフネなどに搭載されるイーパブと同じ非常用通報装置で、衝撃や水没で信号を出す。使われている電池は充電が出来ない「一次電池」。一般的に『二酸化マンガンリチウム電池』など。これだとすると、B787だけの問題じゃ無くなります。
昨日のコメントで「Daisuke」さんという方が来店され、100円多く払わされたとありました。15日の13時39分の書き込みで「今食事してきました」とあるので開店から13時39分までの伝票(9組)を調べてみましたけれど(ウチは板前さんのオーダー票とレジでWチェックしてます)、見当たらず。
今日のバイトに聞いたのですけれど、「思い当たるお客様はいませんでした」とのこと。もしよろしければ何時くらいに支払ったのか教えて頂ければ、と思います。100円をお返ししたいと思います(住所を教えて頂ければ送ります)。また、グラスビールも「溢れる寸前まで入れるように」と日頃言ってます。申し訳ありませんでした。
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海軍は陸軍と異なり秘密主義で、確かに機種名を公表しなかったし、国民に周知したのは朝日の記事が最初だと言われています。記事では確か、搭乗員たちは「ゼロセン」と呼んで親しんでいるといった内容だったかと思います。これはおそらく一式ライター同様、開戦後に米国のラジオ放送を聞いた搭乗員たちが呼び始めて広まったのではないかと推測しています。開戦前は搭乗員も「レイセン」と呼んでいたようですし。
軍事関係は本当に詳しい人はいると思いますが、1私見です。
すみません。国沢さんのいらっしゃらない時は
少しでも気になった事があれば伝えようと思い
書き込んだまでです。何時も無料で有益な情報を
頂いているので返金なんて不要です。また食べに
行きます。
自分は正午頃に行きました。入店時四名客と二名客+
子供がいて、入店後に二名客が来店。
電車だったのでグラスビール250円と肝吸い150円
上2600?円を注文。
ビールの件は伝えた通りです。
会計時は先に二名客+子供が会計し、自分もと話したら
3100円と言われて10000円を出すと奥に入って行き
もう一人の店員からも3100円と言われたので渡して
あることを告げて、お釣り6900円をもらい出ました。
会計の前に持ち帰りのお客様もいましたね。
これが昨日来店時の出来事です。
もし店員さん毎にオペレーションが違うといけないと思い、老婆心ながら私信します。
先週昼に伺った時には、上うな重を頼んだところ、うな重と肝吸いがセットで出てきて、2600円でした。
店員さんは、はじめてお見受けする中年女性の方でした。値上げした分、セットになったのかな?と思いながら、黙々と美味しいウナギを頂きましてございます。
数字ゼロの言い方が日本に入ってきたのは明治時代のようです。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/103.html
しかし戦時中は英語が規制されて野球すら日本語で行っていたくらいですから、レイセンで間違いありません。
かの堀越二郎氏も、著書の中で「ゼロ戦の呼び方が広まったのは戦後」と書いていたように記憶しています。
ただ、導入当初は被撃墜がなかった戦闘機なので、誰ともなく(被撃墜)ゼロ戦と言い始めたかもしれないですね。