日本車で初めて世界的成功を収めた初代フェアレディZのデザイナー、松尾さんが御逝去されました

日本は功績を残した人物を大切にしない国ですね、とシミジミ思う。日本車が今のように興隆した最初の一石は、アメリカに於けるフェアレディZの爆発的なヒットである。フェアレディZ以前の日本車は全ての点で勝負にならなかった。という状況を見て「ミスターK」こと片山さんが作戦を練り、フェアレディZというカタチになり、普通の人のショッピングリストに乗る日本車になる。

写真/ロード&トラック

残念ながら御逝去の情報は日本のメディアではありませんでした。私もアメリカのロード&トラックのニュースで知った次第。拙い訳ながら、以下紹介します。

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ヨシヒコマツオが7月11日にこの世を去った。彼は86歳。ダットサン240Zのチーフデザイナーだった。マツオは1934年7月10日に兵庫県の姫路で誕生した。日本のスタルジックヒーロー誌によると、彼は在学中、ダイハツミゼットのデザインアシストをした。卒業し日産のデザイン部門に入りブルーバード410セダンの改良を手がけ、やがてフェアレディZのデザインを担当することになる

フェアレディZの開発チームはとても小さく、マツオは単なる外装デザイナーではなく、メカニカルなレイアウト、素材使用およびコストまで担当することになった。そして240Zはアメリカの最もポピュラーなスポーツカーのうちの1台になった。デザイン、価格、クルマとしての魅力も持っており、小さい輸入車ブランドだったダットサンをアメリカで確立した。彼が亡くなりとても寂しい。

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実は私、ずっと松尾さんに聞いてみたいことがあった。最後まで聞けなかったです。それはトヨタ2000GTとフェアレディZの関係。両車、偶然と思えないくらいよ~く似ている。ロングノーズ2シーターという基本的なコンセプトや、直列6気筒の採用など、当時の日本車としては珍しい。どうやらオリジナルのコンセプトはドイツ人のゲルツという人だったようなのだ。

以下、私が取材したバックボーンの予想です。「当初、日産とヤマハに開発を持ちかけ、日産は断念。ヤマハはトヨタに提案し、トヨタ車として開発し1967年に発売する。一方、日産も1度は断念したものの、その後アメリカで人気だったジャガーEタイプの廉価版の作るべく開発に着手。2000GTに遅れること2年の1969年に発売されることになった」。この件、松尾さんは全部知ってる。

でもすでにギョウカイの大先輩だったこともあり、恐れ多く聞く機会無し。松尾大兄にとって面白い話じゃ無いという可能性だってありますから。果たして2000GTとフェアレディZの関係、どうなんでしょう? 御存知の方が居たら教えてください。日本の自動車産業に多大なる貢献をした松尾良彦さんの御冥福をお祈りします。天国の片山豊さんと日本の自動車産業を見守ってください。

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