自動車業界は酷評を許容する

自動車以外の専門誌は、製品の批判が許されていない。いや、別に悪い評価を書くのは自由ながら、そうすると製品を買って試験をしなければダメだし、書いても発表する媒体無し。クルマでいえば、広報車を貸してくれないし、取材の機会も与えられず、書く場所も無いということだ。

実際、2輪車でも自転車でもスキーでも、自動車関連業界だとタイヤなんかそう。悪口書いたら仕事にならないワケです。なんで自動車だけ厳しい批評が出来るのか? ジツは1976年に出版された『間違いだらけのクルマ選び』までは、自動車も厳しい批評を出来なかった。

当時の記事を読むと「クルマは素晴らしいけれど速度計の数字のデザインが良くない」とか「シートは良く出来ているが、シガーライターの場所を再考すべきだ」みたいな内容。乗り心地悪いとかハンドリング悪いとかデザインがダメだなんて書いたら、業界から追い出された。

ベストセラーになった間違いだらけのクルマ選びも「誰が書いたんだ!」という大きな騒ぎになり、筆者だった徳大寺有恒こと杉江博愛は業界から”ほぼ”つるし上げの状況になり、AJAJから追い出されてしまう(現在のAJAJは私が在籍しているほどで、そんな縛りなど無いです)。

されど一般メディアはベストセラー作家をさかんに取り上げた。加えて当時、講談社が中古車屋さんから広告を集めて自動車雑誌を創刊しようと考えたのだった。講談社の敏腕編集者だった高橋克章さん(故人)や、月刊現代の編集長だった正岡貞雄さんは徳大寺有恒を起用する。

同時に自動車メーカーの中にも人物は存在した。日本車の悪口を書く評論家の話を聞いてみよう、ということになる。そして役員レベルが徳大寺有恒の批評を許しちゃったのだ。かくしてベストカーガイドは今と同じく新車の批評を始めた。こうなるとライバル誌だって「いいの? 本当にいいの?」。

真正面から製品の批評を受け止めるようになってから、日本の自動車は急速に品質を向上させていく。1980年代に入ると、自動車ジャーナリズムの意見を積極的に聞くようになっていた。当時、私は何度も徳大寺有恒が役員やチーフエンジニアに苦言を呈しているのを見てきました。

そんな自動車業界ながら、最近になって「間違いだらけのクルマ選び」の前に戻ろうとしている動きを感じる。レクサスなど明らかに1976年以前と同じ「ホメたらアメ」を始めてます。それを見てビビる同業者も少なくない。新型車の悪口もメッキリ減った。甘口評価ばっかりになった。

しかし! 幸い今はネットという出版社を介さない自由な発言の場がある。今のところ原稿の内容に全く注文を付けない自動車メディアだって残ってます(私が書いてるトコロですね)。そして国産車メーカーは悪口書いても広報車を貸してくれ、取材の機会を与えてくれる。

現在の関係を作ってくれた徳大寺有恒の存在は大きかった。もし居なければ、今でも”徳大寺有恒”を輩出出来なかった他の業界と同じくヨイショのカタログ的な記事しか書けなかったろう。誇張に思うかもしれないけれど、日本の自動車産業の発展も無かったかもしれません。

この状態を保つには、私ら自動車メディアの努力が必要だと考える。間違った内容の批判記事を書いたって自動車メーカーは納得しない。逆に正しい指摘であれば、許容することだろう。徳大寺有恒の素晴らしさは、批評の中にクルマ好きの成分が豊富に含まれていたことです。


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