太平洋戦争の軍部と経営が厳しくなっている自動車メーカーの経営陣の方向性は見事に重なる
1945年の今日は太平洋戦争が終わった翌日である。戦争を評価すると国の酷さを思い知る。亡くなった310万人のうち、90%は最後の1年に集中。軍人や軍属は230万人亡くなっているけれど、半数以上が餓死や疫病死。そもそも真珠湾攻撃から半年後には大型空母4隻と、艦載機248機を失い(熟練搭乗員も海に消えた)、1944年10月のレイテ沖海戦に於ける大敗で戦う力を完全に失っていた。
マツダ GA型三輪トラック
まともな判断力があれば明らかに詰んでいた。この時点で降伏していたら広島や長崎に原爆を落とされることはなかった。悲惨な沖縄戦もなかった。10万人が亡くなった東京大空襲もなかった。日本が戦っていたのは欧米と中国だったので、ロシアに北方領土を奪われることだってなかった。決定的だったのは単なる「負け」じゃなく、完全なる屈服である無条件降伏だったこと。
国を信じ、言いなりになることの怖さを感じる。我が国は島国だったこともあり、外国から攻められることもなかった。大きな家族のようなもので、世界でも珍しく性善説が国の根っこにある。外国人からすれば文化だけでなく、日本全体に流れる”やさしさ”を感じるようだ。いろんな国に行くけれど、日本人の穏やかさは突出している。私はそんな我が国が大好きである。
逆に考えると日本人は欺しやすい。直近で見ても、水没車で亡くなった3人は大手メディアまで脱出用ハンマーさえあれば助かるという流れに乗ってしまう。実際、強い流れに流されたクルマから外に出ても同じ結果になったと思う。熊本イオンも最大の問題は爆発した原因なのに、館内に戻した犯人捜しに終始する。おそらく太平洋戦争も偏向報道や情報に踊らされたと思う。
もちろん太平洋戦の時だって「我が国は勝てない」と解っていた人は多かったろう。でも戦争を終わらせることが出来なかった。直近の自動車メーカーを見ると、同じようになっているように思えてならない。会社が良くない状況を大半の社員は認識していることだろう。マツダや日産なんか太平洋戦争の時の軍部暴走を目の当たりしている感があった。ホンダも同じ。
政府や自分が属する企業を信じるのは自由だ。でも最後に自分を守ってくれるのは自分である。私が太平洋戦争の教訓にしているのは「巻き込まれないこと」。その上で少しでも多くの人に正しい情報を伝えることだと考えている。読者諸兄もお盆休みに一つでいいから太平戦争についての検証をしてみて頂きたい。ミッドウェイでもレイテ沖でもインパールでガダルカナルでもいいです。
たぶん情けなくなると思う。
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不肖ワタクシ、元軍国少年(笑)でありますから、嗚呼利根のカタパルト故障さえなかったら(ミッドウエイで帝国海軍は勝っていた!)と本気で思っておりました。(笑)
しかしながら、道理を学ぶにつれ、帝国には国家運営の基本方針が無かったという、信じられない事実こそが敗戦の理由だと思うに至りました。
そもそも国家戦略という根幹が無かったのですから、宜なるかなとしか言いようがありません。
間違いの検証にしても、基本方針に照らしてどうであったかで判断する物なので、面子や空気や精神論に支配されて決められた「方針」とやらでは、如何ともし難いという事でしょう。
そういえば、子供の頃はニミッツが大嫌いでしたが、今では東郷イズムの真の継承者であり、変な形で祭り上げた我が国の関係者とは大違いな立派な方だなと、今では思っております。
しかしながらその米海軍も、今では国家に相応しい規模から逸脱し、衰退の道に入っているのかなと思わずにはおれません。(帝国海軍が辿った道。)
反省と謝罪だけでは進歩はありません。
具体的に科学的に歴史を検証して現在、未来に反映させる事が大事だと思います。
苦境に陥っている自動車メーカーの従業員の中には、経営陣以上に問題意識を持ち、現状を変えたいと強く考えている人は一定数いると思います。しかしながら一人立ち上がったところで何も変わらず、無力感を感じているのではないでしょうか。
一般的に、駄目な経営陣が口にしがちなのは「我々は(従業員とは違って)圧倒的に多くの情報を持ち、その中で経営判断を行っている」というものですが、本当でしょうか?
現場や顧客を知らず(知ろうともせず)、主に耳障りのよい報告ばかりを聞いて、都合よく「経営判断」と言っているケースも散見されます。
昨日、たまたま岡崎五朗さんのコラムを読みました。比較的温厚そうに見える岡崎さんがホンダの社長続投を厳しく論じておられました。
株式会社の持つ側面ですね。
今の自動車メーカーの位置は日本海軍のミッドウェー海戦前の珊瑚海海戦あたりでしょうか。過去の成功体験に拘っていると進化についていけず衰退し滅亡します。成功体験の期間が長いほど修正されない欠点が大きくなっています。お盆に上海に観光ついでに交通事情を観察しての感想です。
現役時代、「それには無理があります。こうするべきです。」と正直に報告すると、ヒラメ上司から「そういう話を聞きたいんじゃない。もっと良い話を持って来い。上に説明できないじゃないか。出世に差し支える。」と言われました。
また、「上がこう言っている。他のことはいいから、早く上の言う通りやれ!」ともいわれました。
ヒラメ上司に「じゃあ、あなたは、上が窓から飛び降りろ。と言ったらそうするんですか?」と返答したら、2回、左遷されました。でも逆に、人間らしく過ごせました。
いまや、昔の勤め先は課題噴出でガタガタ。むべなるかな、です。一部の自動車会社もこんな調子なのでしょう。残念~。
うわべだけの平和教育より、日中戦争のトラウトマン和平工作の失敗、太平洋戦争のハル・ノート交渉の失敗、日米開戦後からの具体的な和平交渉の欠如は、高校教育でちゃんと教えてほしいですね。
日本人組織は、上下関係で会話できるレベル組織は強いですが、会話できないほどの上下関係になってしまうと、とたんに弱くなってしまいます。
過去の反省というより、集団的機能不全の悪癖を矯正するという観点で教育してほしいですね。
最近、大艦巨砲主義のようなクルマを出して品質問題を引き起こして最後は責任者が後始末もせず退任みたいな出来事を目の当たりにしました。その時にこの人達はかつて無謀な戦争を引き起こした人間達の血を引いていることを忘れてしまっているんだなと思いました。結構、何年経っても戦場から会社経営にすり替わっただけの根拠の無い精神主義が展開されるだけで本質は変わってないと思います。経営者になる人は成功体験も多いでしょうから、、、尚更かつて無謀な戦争を引き起こした人間の子孫だという自覚を持ちながら驕らずに会社の経営に邁進して欲しいと思う今日この頃でした。
真珠湾から考えるに、現場におりませんでしたから、想像ですが、中途半端な攻撃で帰還、想像以上のダメージを受けた?と思ったんでしょう、故に太平洋艦隊半年分と言われておりました石油備蓄タンクをほぼ無傷で、真珠湾専用魚雷も大量在庫
帰りに、ミッドウェー若しくは
グアム島を攻撃する予定だったとか、無かったとか。
これで喜んだのは、チャーチル
と戦争はしないと言って大統領になったルーズベルト大統領。
この時にはまだアメリカ合衆国入りしてないハワイの為に日本に堂々と戦争を仕掛ける事が可能、ハルノートとか何とか言ってますけど、日本人の律儀さですかね、いちいちタイプライターで返答文書を作成していた事
ミスタイプをすれば、最初から
…緊急事態何ですから、手書きの書簡に日本政府の印が入った書簡を届ければよかったし、これは正式書簡では無いと言われても、時間稼ぎは出来たんじゃと思いましたよ。
まぁ、最初に索敵でエンタープライズを発見して、撃沈していれば、大局的には変わりませんが、アメリカ側には多少のダメージを受ける事になったかな?
太平洋戦争に関してはまだまだ云いたい事がありますが、今回はこれ位で…
戦前の軍部が、今の財務省でしょうか。
オールドメディアが、こぞって減税反対を唱えているのも、戦前に重なる。
世界標準の財政政策を期待する。
日本向けの敗戦の日から10日経ちましたので、国沢さんが折角の機会を下さいましたので
途中の陸海軍の大きな失策は皆さんワタクシよりもお詳しいと思いますので、昭和20年8月以降の事を記させて頂きたいと思います、当時、グローブスと云う原子爆弾の開発責任者がおりました、超多額の予算を費やして原子爆弾を完成と使用そして、結果を求められておりました、
ナチスが降伏前までは、アインシュタインからもせっつかれている様でした、アインシュタインはナチスの能力を恐れていたのです。
そして、爆弾の実験も成功し、次は何処に最初の投下地点を京都、名古屋、広島の中から京都を選択しますが、当時の京都好きの陸軍長官から猛反対を喰らいます。
そして、本来の原子爆弾の威力を正確に計測出来る場所として
広島に目標が決定し、日本時間8月6日、原子爆弾が投下されました。
そして、8月9日、北九州、福岡、長崎、のいずれかが投下地点とされましたが、悪天候の為
北九州~長崎を往復し、僅かに晴れ模様になった長崎に投下されました、昨年時点で原爆症認定された方々は、広島で50万人超え、長崎で30万人超えの方々が亡くなりました。
そして、玉音放送です、一部の陸軍将校達が戦争継続すとして玉音放送を妨害しようとしますが、宮内庁が本物と複製品を作品していた為、8月15日、玉音放送がラジオ放送され、日本国内では敗戦を迎えました。
これを聞いた手塚治虫さんは、
ヒャッホーと喜んだそうです。
何故、日本国内向けと言ったのは、8月16日に北関東と秋田県
Bー29、200機が空襲被害を受けています、北関東には工場、秋田県には石油精製工場があった
との事です、そして、日本軍から見捨てられた、満州、北海道の南樺太、千島列島がソビエトに蹂躙されました、こんな時に犠牲になるのは女性達です、自分達可愛さに女性達を差し出したそうです。
国内では、内閣総辞職し、初めて皇族が内閣を立ち上げました
その時の総理大臣から国民に向けて言われた事が1億総懺悔…
訳分からんです、一寸前まで1億総火の玉と玉砕覚悟と言っていたのが、1億総懺悔…これには、火垂るの墓の野坂昭如さんはブチ切れてました、そして、北海道の分割でアメリカとソビエトの間で分割協議に片が就いた所
で、戦艦ミズーリ上で終戦協定を終了させ、第二次世界大戦が終了しました。
正確な敗戦の日は、昭和20年9月2日です。
国沢さんこの様な機会下さり
有難う御座いました。