ヴィッツに試乗

10時に家を出てヴィッツの試乗会2回目へ。一昨日は時間無かったので1リッターしか試せませんでした(1,3リッターはホンの少しだけ)。売れ筋になるだろうアイドリングストップ付き1,3リッターと1,5リッターエンジン積むRSのマニュアルに乗る。意外だったの、乗り心地の差である。

1,3リッターが一番厳しく、1リッターだと「良い」。RSは「トヨタのFF車で一番良い」となる。同じヴィッツでも見事にハッキリ違うのだ。足回りの担当をしているエンジニアに聞いてみたら「そうなんです。RSはコストもしっかり掛けています」。プリウスもヴィッツのRSくらいになったら言うこと無しなんだけど。

本日は燃費もキッチリ計ってみた。都内を普通に走って13km/L程度。少し気を使うだけで16km/Lくらいまで伸びる。写真は東京プリンスを出て約4kmの周回コースを2ラップした時のデータ。インサイトに肉薄し、マーチとイーブンだと思う。おすすめは乗り心地の悪さを覚悟して1,3リッターです。

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16,3km/L。アイドルストップ中は『A』マーク点灯

終了後、八丁堀に移動して打ち合わせ。その足でミニの試乗会に行きたかったが、時間押したため断念。面白そうなクルマなので、試乗会より普段使うシチュエーションで味わってみたい。夕方からうなぎ屋で原稿書き。今日は昼間の売り上げが順調だったものの、猛烈に寒いせいか夜になってパッタリ。

帰宅すると桜井真一郎さんの訃報が。日記を調べてみたら、最近お会いしたのは、2008年の3月15日でありました。

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3月15日 10時から桜井真一郎氏のインタビュー。短いお話なら何度も何度も聞いていたが、じっくりとサシでインタビューしたのは初めてであります。超緊張すると同時に、素晴らしく面白い! 気に入って頂けたらしく、今まで一度も読んだことのない無い話をタップリしてくれました。「桜井さんの話は全て聞いたと思う」と言っていた旧プリンス自販の元宣伝課の方すら「初めて聞く内容ばかりです」。クルマ絡みの内容でないことも多かったのだけれ
ど、あっと言う間の2時間でした。

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最後にインタビューした時の原稿、捜してみます。我が国の自動車史に残る名設計者だった桜井真一郎大兄のご冥福をお祈りします。

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4 Responses to “ヴィッツに試乗”

  1. kanbutan より:

      寂しいですね。 子供の頃(今から半世紀前と云う事です。 ショック!)、父のドライブコースの一つが多摩川や深大寺方面でした。 京王線の電車が見られるのも楽しみでしたが、何と云っても三鷹のプリンス自動車の工場の傍を通るのが一番の楽しみでした。
      1950年代の頃の話ですからアメリカンスタイルのスカイラインの時代で道路から良く見えました。 まだGTへと繋がる2代目が登場するずっと以前の話です。 当時はきっと桜井さんも近くに居られたのでしょうね。 東京の城西地区に住んでいた子供にとって新車があんなに沢山見られるなんて、それこそ夢の様でした。 まだまだ日本がモータリゼーションの端緒に着く前の時代です。 氏のご冥福を祈ります。
      因みに当時、我が家には通称ベビーフォードと呼ばれていたシックスライトの英車が父の愛車として飼われておりました。

  2. kanbutan より:

      50年前の我が家の愛車、多分フォード・プリフェクトだと思います。 薄〜いグリーンでした。 贔屓目に見て60年代のアストン・マーチンのチーム・カラーみたいな色と云ったら大向こうから怒りの声とクレームの嵐が飛んできそうですね。 こいつに乗って昔の青梅街道や五日市街道、旧鎌倉街道、甲州街道なんかをドライブしたのは良い思い出です。

  3. 真鍋清 より:

    多摩川や深大寺で武蔵野の緑とほっくりした空気を味わい、三鷹のプリンス自動車の工場の脇を「ベビーフォードで」走る…..なんて古きよき日本の美を具現化した風景か!kanbutan様の人生ドラマに滋味が感じられる!
    それに比べて情けないことに、小生ときたら東北道上りの利根川の鉄橋とその一歩手前の「飛島建設館林工場」を見下ろす地点がお宝スポットで、そこを1980年代に父の愛車アウディ80GL5E/1984年式(5気筒1994cc)で駆け抜け、近年では愛車ヴィッツ(1台目の1999年式1000F-D、2台目の2004年式1300U-L双方)で飛ばすその瞬間、体内に快楽ホルモンが走り、カタルシスの媚薬を得る按配なのだから何とも貧しいイメージなのかもと自己分析できるのだ。
    ともあれここ「飛島建設」の工場は名門ゼネコンたる同社の定評ある技術開発の源泉であるのと同時に、「技術―歴史への約束 飛島建設」というサインとともにクレーンが高くそびえ立ち、各種機材が並ぶその視覚的ダイナミックさに「歴史を造り、社会インフラを築き、地図に残る仕事を遂行する」というゼネコンの底力を感じ取り、そうした空間を愛車で駆けると身がキリっと引き締まる気がするわけだ。
    もっとも同工場はもはや撤退し、茨城県境町に移転したものの、今度はガレージセールその他の雑用に愛車ヴィッツで同町に繰り出し、境町の飛島建設機材センター付近をヴィッツで駆けるたびにかつての感傷にひたらざるを得ない上、(もう一台の)「レクサスIS350を飛島建設の前に横付けすれば絵になる風景に違いない」なんて戯れ事が浮かぶほどなのだからもはや病膏肓で、始末に困っているのもまた事実なのだ。
    かくもつまらぬ男である小生にドラマと癒しを与えてくれた「一心同体」の相棒ヴィッツ1300U-Lは今や83675km走行、来月辺りにミッションに高速型CVTフルード(部分合成油)+アタックX1(添加剤)を同時注入し、ユニットのフリクションを低減するのと同時にボルボS40 2.0顔負けの加速を復活させて12万kmまで大過なく行けるようにしたいと考えている。その一方で、現行ヴィッツと2気筒800cc二段階過給+1モーター2クラッチ式ハイブリッドが実現され、世界の市場に再びトヨタ旋風が吹き荒れることを毎日のように夢想している身なのである。「頼むぞ、豊田章男社長!」

  4. 真鍋清 より:

    我が「ネオクラシック」2004年式ヴィッツ1300U-L/87730km走行に最新鋭レーダー探知機を取り付けました。
    ユピテル製の同機によれば9割がたエアコンオンで、高速を含め高負荷だったにも拘らず、平均燃費は11.0km/l、車検直前の同条件下の10.05km/lに比べて一割の向上、またGPSデータでは時速160km/h記録時にエンジンは5920回転、アクセル開度は82%/エンジン負荷は80%…..ここから逆算してアクセル全開ののち緩やかにアクセルを緩めてCVTのトップ相当に入った際には時速195km/hのポテンシャルもあることが(※ヴィッツ用CVTではアクセル全開ではトップ=OD相当に入らないしくみだ)判明できたほどです。
    リミッター解除(解除方法は未だ明らかにされていないが)によって最高200近いポテンシャルを持つヴィッツ1300、新旧問わず足回りさえしっかりしていれば「隠れたるジャイアントキラー」とも言えるのではないでしょうか。

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