レース中の事故

先週はインディカーで。昨日モトGPで大きな事故があった。このところモータースポーツの安全性は大幅に向上しており、死亡事故も減っていたことを考えると、とても残念です。反応を見ていると関係者とファン、そしてヤジウマで全く違う。関係者とファンはレーシングアクシデントである限り、ご冥福を祈り、悲しむのみ。

そもそもレーサーだって危険であることを承知の上だ。諏訪大社の御柱際や岸和田のだんじりと同
じ。もちろん事故に遭うことは考えないようにしているけれど、リスクあることなどみんな知ってます。私だって御柱の先頭に座る勇気など無いが、ラリーでクラッシュしたら場合によっちゃ相当危ないことは認識している。

インディカーの場合、事故前から3列で走行するなどリスクが大きい状況にあったと思う。されど見ている側からすれば強引な抜き方もギリギリの勝負も、モータースポーツの華である。というか、それをやりたいからレーサーはレースの虜になってしまうのだった。だんじりの屋根で飛び跳ねている人も同じことだろう。

加えてインディカーに出ている選手は飛び抜けた才能を持つ。シロウトが混じって事故になったというワケじゃない。モトGPで亡くなったマルコ・シモンチェリ選手も、映像を見る限り仕方なかったと思う。全て
「たら」「れば」の話になる。レースのアクシデントに限らず、事故なんかそんなものかもしれません。

考えて頂きたい。チャレンジングな魂が人を感動させ、歓喜させる。だから人間は素晴らしい。レーシングアクシデントであれば、天に召されたレーサーのカッコ良さを讃えて欲しい。忘れないでいて欲しい。たまには思い出話をしてあげて欲しい。それが一番の供養になると考えます。

・ECOカーアジアは「日産のプラグインHVは?

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5 Responses to “レース中の事故”

  1. 細川 より:

    死をも恐れぬ闘志。
    怪我をものともしない精神力。
    悲しいかな我々レースファンはそこに感動してしまいます。
    ちなみに亡くなられたマルコ・シモンチェリ選手はホンダ所属ですが、
    以前この様な大事故の際のホンダの対応は良く批判を浴びてましたね。
    最近はメーカーとして直にコメントを発表する様になりましたが、前は時期を置いてから発表されてましたね。
    これはよく誤解を受けてましたが、私なりの解釈では、やっぱり共に活動していた『仲間』に対し喪に服していたのだと思います。
    普通、身内が亡くなってああだこうだとベラベラ喋る人いませんもんね。
    この件では以前、こんな話しを聞いた事があります。
    とある時期、ホンダが海外進出の記者会見を開いたのですが、その会見の少し前にレーシングマシンのテスト走行でレーサーが一人亡くなる事故があったのです。
    で、ホンダは事故の直後である記者会見の席上、特にその事故の事には触れなかったのですが、その際、若い記者との間でこの様なやりとりがあったそうです。
    若い記者:ところでホンダさん。先日のテスト走行でレーサーが一人亡くなられた事に対し何もコメントを出しておりませんが、どうでも良い事なのですか?
    ホンダ役員:貴様!どうでも良いとはなんだ!どうでも良いとは!ひと一人が亡くなっているんだぞ!親も居れば兄弟もいるんだぞ!バカヤロー!
    私の知るホンダって、色んな意味で素敵で大好きな会社です。
    謹んでマルコ・シモンチェリ選手並びにダン・ウェルドン選手のご冥福をお祈り申し上げます。

  2. ケイイチ より:

    失礼いたします。
    かつて鈴鹿耐久レースやF1が大衆にも反響を
    呼んでいた頃、モータースポーツは理解されて
    いたのでしょうか?。
    選手に対する慈しみや敬意を人間として抱いて
    いたのだろうか・・・と、ふと感じました。
    (若くして散った加藤選手を思い出します)
    私は興味ある者だから、人一倍に心が打たれる
    人間です。しかし・・そうした範疇とは無縁の
    人々には彼等の死も、災害の死者すら関心など
    ないのでしょう。
    そんな人間達が発言力を得ているから暴挙から
    情報による精神汚染も増加しているはずです。
    この国で平等を叫ぶのはマイノリティー扱い。
    平等は負の連鎖を生じさせ、皆で高めたい意識
    を掲げることは不当な弾圧でも受けかねない?
    風潮となっていませんか。
    生命を尽くして挑戦することは大切なのですが、
    夢も希望もない人間には、自堕落な生活感とて
    ループしてれば?満足の不透明社会。
    生命の危険と背中合わせの競技、レースも人生
    の縮図。惰性で安全に流れるだけの生き方には
    ないものを求めているのでしょう。
    共感など拒絶して、安楽と忘我に磨り減らした
    人間性の蔓延により・・先進国どころか文明の
    維持にも見通しがつかない日本には価値ある物
    を尊ぶどころか、無為に過ごし食い潰すことで
    堕落させ、その人間達を権威で”飼い慣らす”
    煽動による支配を標柱とすることが真の利益だ
    とする低迷が感じられます。
    これまで繁栄も進歩も他者の供給?で正体不明
    であり、従っていれば平和に思えた群衆心理は
    瓦解した生活に翻弄され・・先行きを見失って
    います。 本来は、個人の向上心と挑戦の先に
    ある筈の文明が単純なプロセスで享受できてた
    人間達には水没して生産ラインが停止したまま
    の工場のようです。
    映画の冒頭で無人カメラに映し出された深海の
    タイタニックの残骸が・・・現状の日本列島。
    老婆がかつての姿を想像しては涙ぐむ状態?。
    宝は日本人の心の中にあるはずなのに。
    誰かが用意してくれない日常、影響させるのは
    自分自身でなければなりません。
    だからこそ己を磨き成長させる価値に命を賭け
    慈しみを忘れない。
    危険というなら、刃物の扱いや道の歩き方すら
    教えない親(自身も知らないのかも?)の方が
    アブナイでしょう!!。
    常識知らずに、政府(政腐か)に不満ぶつける
    集団ヒステリーが異常に危険です。
    どんあ政治家も政府も日本人個人、誰もが依存
    に徹しないで自分が改善するしかないでしょう。
    こんなこと書いている自分が失礼で馬鹿な人間
    となりますが、これが偽らざる日本の問題。
    指導するどころか新興国から良さを習う時代。
    ノストラダムスとかいう人物の書く終末予言は
    ありませんでしたが・・彼の諸世紀に書かれた
    「男とも・・女とも知れない者達が徘徊してい
    るだろう・・・」という記述があったそうで、
    それだけは見事に当たってます(悲)。
    男らしく!女らしく!、日本人で良かった!。

  3. さね より:

    才能あふれるドライバー、若きライダー。御冥福をお祈りいたしたす。
    日本だとモータースポーツはあまりにも軽視されてますしドライバーの報酬も地位もあまりに低いですが、長い歴史もあるし悲しい事故ですが、めげずに頑張ってほしい。日本のレース界も次世代車が普及する時期なので技術競争、発展のチャンスだしレギュレーションなど頑張って盛り上げてほしいです。 まずはプロレーサーの地位向上をねがいます。 そしてもっと自動車メーカーもバックアップして世界にもっと打って出てほしいです。そのためにも自動車好きな子供達を増やすような、走りもよくカッコイイ車開発をお願いします。

  4. tripleR より:

    今年は国内レースの開催がが震災のため遅れたことと、琢磨さんが2年目ということからIndyを見始め、ドライバ達の強烈な個性とGAORA解説陣のとても面白い解説とにすっかり魅せられ、はるばるIndy Japanも観戦に行ってしまった初心者Indyファンです。
    確かにレースはリスクを取って行なわれるものですし、だからこそ見るものに感動を与えるのですが、リスクにも取るべきもの、取ってはいけないものがあり、今回のラスベガスのレースは後者の'取ってはいけない'方ではなかったのか、と思っています。
    twitterで彼の訃報を知ってからレースの録画を見たせいも無いとは言えないのですが、スタートから異様な感じが漂っていました。
    ダリオも5周目ぐらいからみんなクレイジーだったと言っていましたが、普通なら幾つかのパック(集団)に分かれるのが普通なのに、全体が一つのパックになって走行していました。(それも今までで最も多い34台の車が)
    ラスベガスのコースはNASCARも行なわれるのでサーキットの大きさの割にコース幅が広く、3ワイドで普通に走れてしまいます。
    普通3ワイドになるような状況では車速は少し落ちているようですし、インディアナポリスなどは、車速が乗りすぎないように微妙にコーナの幅とかを調整しているようですが、ラスベガスではここ10年余りIndyのレースは行なわれておらず、34台の大きな一つのパックは350km/h程度の速度を保ったまま、周回を重ねていたようです。
    それだけでも信じられないことなのに、前に1台車がいるだけでも乱流が起き、ドライビングがシビアになるIndyで、あれだけの集団になってしまえば、集団の中の車がどれだけ不安定になるかは、想像するだけでも恐ろしいことです。時速350キロ、隣の車との間隔は数十センチしかないのです。
    レース関係者の誰もが通常のレースとは違った危険があることは充分に分かっていたはずです。でも、その中の誰も、レースの形(台数を分けるとか)を変えようとは言い出せなかった…
    Indyも昨今のレース業界の常識に漏れずあまり経営状態は良くないようです。
    その中でのラスベガス(シーズン当初は開催予定になかったそうです)、興行的には大きなプラスになるであろうレースに水を差すようなことは誰も言い出せない訳です。
    これって、きっと戦争になる時とかも同じなんじゃないかと感じています。
    多くの人が、この状況はなにか間違っていると思いながら、それを言い出せないまま事態は個々の意志とは別の方向へ進んでいく。
    彼が亡くなった後、オープンホイールの危険性とか、キャノピの装着とか、色々なことが言われていますが、今回の問題の本質はそこには無いと思います。
    レースに関わった(私も含め観客も)全ての人が、レースに臨む態度を見つめ直さない限り、いかに車やサーキットが安全になっても、また同じような事故は起こってしまうでしょう。
    今回誰かが、'このレースは危険すぎる'と言い出すべきでした。誰かが言い出せば、(みんなが思っていることですから)賛同者はどんどん増え、レースはもっと無理がない形で開催できたでしょう。
    これを教訓として、自分の見解を(まわりの状況に寄らず)ためらわずに表明できるようにしていきたいと、みんながすべきだと、私は思いました。
    今回のレースでは最初、異なるカテゴリのドライバが参戦して優勝したら5000万ドル、という特別賞があったようです。ですが、参加表明をする人が誰もいなかったので、最後尾からスタートして優勝したら5000万ドル、という形に変更され、それにダンが応じたようです。
    彼は最初のクラッシュの中にいたのではありません。前方でクラッシュするマシンがいる中、まわりの車は減速しはじめているのに、彼だけ全く速度を落とさずに、クラッシュするマシンの中に突っ込んでいっています。
    無線交信(Indyでは日本国内のレースとは違って無線は周波数も含め全てオープンになっています)の内容が分からないので、彼がどのように状況を認識していたのかは分かりませんが、前方のクラッシュを部分的なもの(回避可能なもの)と捉え、ポジションアップの数少ない機会と捉えていた可能性も無いとは言えません。
    '最後尾からスタートして優勝'というかなり無茶なイベントが無ければ、そこまで無理はしなかったのではないか、と思うと、更につらいものがあります。

  5. tonpochi より:

    インディカーの事故についてはスポーツニュースで見たくらいしか知らないの
    ですが、motoGPについてはネットでFP1,2,3をチェックし、予選、決勝ともに
    Live中継を観ていました。
    シモンセリ選手は今年からワークスマシンを貸与され、motoGPクラス参戦2年
    目にして頭角を現し、予選ではPPを獲得する走りを見せていました。しかし、
    走りがアグレッシブ過ぎて転倒が多く結果に繋がらないことが多々あり、昨年
    チャンピオンのロレンソ選手やHONDAのエースライダーのペドロサ選手と度々
    いさかいを起こしていました。
    しかし、シーズン終盤になりやっと走りが落ち着いてきて前戦オーストラリア
    GPでは2位表彰台を獲得するなどの活躍でした。そして来シーズンもワーク
    スマシンを貸与される契約を交すことができ、今後の活躍が期待される選手で
    したが、今回の事故で亡くなってしまい非常に残念です。心からご冥福をお祈
    りいたします。
    そんな中、見過ごすことができない事があります。それは事故時のオフィシャ
    ルの対応です。頭部に重症を負っている選手を安易に担架に乗せてまるで丸太
    でも運ぶかのようにさっさと救急車へ運び、その途中あろうことか選手を担架
    から落下させてしまっているのです。
    日本で自動車学校の教習を受けた方ならご存知と思いますが、事故で頭部に損
    傷を負った人はむやみに動かさず、ゆっくりと安全な場所に移動させ後は医師
    の到着を待ってその指示に従うと習ったと思います。
    しかし、こんなことやられたのでは助かる命も助かりません。無論今回セオリ
    通りの救命をしたとしても選手の命が助かったかどうかは定かではありませ
    ん。しかし、あまりにもひどい。
    実は、昨年moto2で富沢選手が転倒後、後続車にぶつけられて亡くなったので
    すがこのときもオフィシャルが担架から選手を落下させていたのです。
    このようなことは、もっと追求されるべきではないでしょうか。
    参考URL: http://gp.lachirico.com/2011/10/25/motogp-493/

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